《第7話》 【社会教師戦】《第7話》 【社会教師戦】中学2年と3年の時の担任は、社会科の先生だった。 旧制農学校出身で、温厚で、堅物のイメージが強かったが、一番、俺を理解してくれて、お世話になったという感じが強い。 民主主義とは、どういうものか。日本の成り立ちは、どうだったか。を、教えてくれた人だ。 いちばん、強く教えられたことは、“おとなの大きさ”だったのだが。 俺が、この先生に逆らいもせずに、素直に言うことを聞いたのも、そのへんが理由だと思う。 さて、自分が、おとなになって、先生ほどの大きさを持てたかどうかというと、かなり疑問だが。 推測の域をでないことだが、学校の先生達の人間関係は、けっこう“どろどろ”したものが、あるらしい。 旧制農学校や旧制師範学校と新制大学出身の対立、学閥の対立、教頭や校長の職をめざすものと平教諭で終わるものの確執、主要教科と理社・音楽・美術担当の確執、教育者と地方公務員と家庭人の間で、ゆれる者。 他の職場でも、見られる人間模様だが、学校が、他と違うところは、これらの“社会人”のほかに、好奇心が強く、感受性が強く、純粋なマインドを持った“少年”が、数多くいるというところだ。 当然、その“社会人”と“少年”のせめぎあいが、おこっても不思議ではない。 戦前の教育のように、上から下への洗脳・命令だけで、済むはずがない。 先生と生徒がお互いに、影響しあうことが、必ず起こる。 歴史の時間は、きらいではなかったが、年号が こまかすぎるのには困った。 なにが“泣くよ坊さん平安遷都”だ。なにが“いい国作ろう鎌倉幕府”だ。 そんなこまかい年号覚えても、将来、歴史学者になる予定でもなければ、なんにも役にたたないじゃないか・・・と思っていた。 テストで、“鎌倉幕府が成立したのは、何年か”という問題が出た。 俺は、“1200年頃”と書いた。 先生は、みんなの前で、「ゆうじが“1200年頃”と書いたが、正解は、“1192年”だから、ゆうじの答えは“バツ”だぞ。・・・ただ、この考え方は、今後の指導に役立たせてもらおうと思っている」と言っていた。 1192年なら、およそ1200年頃でまちがいではないという、俺流のおおざっぱな考え方。 だって、1200年頃と覚えておけば、今から、800年くらい前とすぐわかるじゃないか。 おとなになってから、アメリカ人に、源義経の話をしてあげてたとき、“いつ頃の話しだ?”と聞かれて、すぐ“約800年前”と、答えられたもん。 子供の頃から、えらい人の話をだまって聞いているのが、苦手だったような気がする。 先生の話もろくに聞かず、ノートもとらず、退屈しのぎに、教科書をぱらぱらめくって、関係ないところを読んでいることもあった。 歴史の教科書は、けっこう遊べた。 歴史上の人物の絵などがあって、それを、頭をリーゼントにしてみたり、ひげをつけたり、えんぴつの芯もけっこう減るもんだ。 フランシスコ ザビエルの絵をしみじみと見ていたとき、先生が、いきなり「ゆうじ、キリスト教を日本に伝えたのは、だれだ。答えてみろ」といった。 俺は、余裕で、「あー、その人なら、91ページに写真が載ってますよ」と答えた。 写真は、まだ、なかった時代だったと思うけど。 まわりで、「どこだ、どこだ、何ページだ」などと、騒いでいる。 なんだ、みんな、知らなかったの。 俺が、さきに読み進んでいたってわけか。 あっ、読んでたんじゃない、見てたんだ。 先生は、俺のほうを見て、ニヤニヤしている。 「ゆうじ、ちゃんと立って答えてみろ」 って、なんだよ、小学生じゃあるまいし、めんどくせーな、と思いながら、だらだら立ちあがって、答えた。 「サンフランシスコ ザビエル」 言い終わってから、あれっと思ったんだけど、まわりからも、失笑がもれてる。 よーく、絵の下の名前を見てから「あっ、フランシスコ ザビエルか」 先生が「いいか、みんな、この人物の名前は重要だからな。覚えとけよ。ゆうじが、まちがえてくれたおかげで、印象に残っただろうから、忘れるなよ」だと。 先生、俺を教材にするなよ。 その先生が、やはり歴史の授業中、「ゆうじ、“江戸のかたきを長崎でうつ”の意味がわかるか」と聞くので、俺は、とっさに「先生のかたきは俺がうつみたいなもんじゃないですか」と答えた。 先生は、「そうだ!」と言って、かなり喜んでいる。 ふだん、けっこう無表情で、かたい感じがする先生だったので、ぶっちゃけて笑っているのが、なんでかな?とも思った。 俺が、先生のかたきをとってきたということか?。 まっ、いいか。 最近、ことわざ辞典で、調べてみた。 意味は“以外な場所や筋違いなことなど ひょんなことから、かつて受けた恨みの仕返しをするたとえ”だそうだ。 意味がちがうな。 30才すぎた頃、中学校の同窓会があった。 その先生と話す機会があった。 ここは、素直に正直に話そうと思い「ほかの先生は、俺みたいな生徒を扱うのも、教師の給料のうちだ、と思ってるからいいんだけど、先生にだけは、迷惑かけたなって思ってて、ずっと、あやまらなくちゃなんないな、と思ってたんですよ。」と、打ち明けた。 何年かぶりに会って、そのあと、また、ずっと会わないなとおもうと、意外と、素直になれるもんだ。 先生は、笑って、手をふった。 「あやまる必要はない。おまえは、あれでよかったんだ」 「えっ、だって、先生、俺のことで、他の先生に頭下げたことあったでしょう?」 「ああ、おまえのことでは、何回頭下げたかわかんないよ。でも、それでいいんだ。俺は、うれしかったんだから」と、ニコニコ喜んでいる。 えっ、と思った。“先生のかたきは俺がうつ”のイメージか、あるいは、“子供”“少年”のいいほうの特質を、“おとな”として、よろこんでいたか。 「えっ、なに?先生、うれしかったって?」 「ああ、うれしかった。教師やってるとな、まじめな、おとなしい子ばっかりでは、おもしろくねぇんだ。学校に行く気がなくなっちまうから。おまえみたいなのが、いいんだ。教師冥利につきるってもんだな」 「教師冥利につきるって、先生、歳とって、少しおおげさになってない」 「いや、おおげさじゃないぞ。あれで、いいんだ」 すごいことは、職員会議も含めて、何回も他の先生にあやまっているのに、俺には、なにも言わなかったということ。 怒られたのは、タバコを吸っているのがばれたとき。これは、当然、あたりまえ。 あとは、なにか用事をたのまれたついでに、「髪の毛伸びてきたから、少し切ってこいよ」と、言われたことくらい。 完全に野放し状態で、“おまえの気のすむように行くがよい”みたいに、扱ってくれたことが、たまらなく、ありがたかった。 世の母親族のように「あんたのせいで、私まで、おこられちゃったじゃないの、ぷんぷん」というのがないところが、“おとな”を感じさせる先生だった。 うーんと感じいって、下を向いていたら、先生は、教義のように続けた。 「あれは、おまえがおとなだったということだ。そういう人間は“大器晩成型”だな」 おほめの言葉を、通り越して、なぐさめになっちゃった。 以前から、“大器晩成型”は、時間がゆっくり流れていた時代の成功者の型だろうと思っていた。 現代のように、メディアが発達し、交通・通信網が整備された時代では、成功する人は、若いときから活動を認められ、早めに幸運を手にすると考えられる。 “大器晩成型”と言われることは、“お世辞”と、受け止めたほうがいいと、思う。 お世辞を言われたら、お世辞で返せという話もある。でないと、まだ、こどもだと見られるから。 「それじゃあ、先生に長生きしてもらわなくちゃ。俺が、成功するまで、待っててもらわなくちゃね」 「ああ、長生きするよ。待ってるからな」 老年者に、長生きしてくださいというのは、いいことだと思う。 だけど、成功するのは、むずかしい。 酒飲み話がうまくなったことを、“大器は晩成す”とは言わない・・・ような気がする。
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